M大佐と『七福神』③【著・M大佐】

M大佐と七福神 知識・教養

七福神の内容が濃すぎてこの記事、思いの外長引いちゃってるね。仕方ないね(´-`)

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③毘沙門天


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クベーラ神

もとはインド(ヒンドゥー教)の戦いと財宝福徳をもたらす神クベーラ神と、その別名にして知恵の神ヴァイシュラヴァナ神が仏教に取り入れられて変化したものですが、クベーラ神の名前から変化した宮昆羅大将は十二神将となり別の仏として扱われましたが、同じ神であるという事からヴァイシュラヴァナ神の名前から変化した毘沙門天に本来は武神としての姿(本来のヴァイシュラヴァナ神は知恵の神であり武神ではなかった)とクベーラ信仰にある財運をもたらす信仰が加えられました。

仏教においては帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、多聞天(たもんてん)として四天王の一尊に数えられる武神でもあります。

四天王の中ではリーダー的な存在とされています。そして今日よく知られる武将の様な鎧の出で立ち(武装姿)は中国で変化したものですが、その武装姿はもともとシルクロードを経由してインドのクシャナ朝のガンダーラ美術(ギリシャ文化の影響を受けた美術)の影響を受けた物が中国で更に変化した物であるとされています。シルクロードにあったホータン国では更に他には無いペルシャ風な鎧の像(兜跋毘沙門天)もあり日本に伝わっています。


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兜跋毘沙門天

日本には飛鳥時代に仏教と共に武神としての毘沙門天信仰(この頃は帝釈天とその四天王)は伝わっており、聖徳太子が物部氏との戦いの戦勝を祈ったのが四天王であったと云われています。

平安京が建設された際には京都の北方の呪的な守護として毘沙門天を祀る鞍馬寺を重んじ、室町時代後期に鞍馬寺の毘沙門天が福の神としての毘沙門天信仰として庶民へも広まり、今日の七福神としての毘沙門天信仰に繋がります。

捕捉ですが毘沙門天像や四天王像が鬼(邪鬼)を踏んでいる像が見られるのは、四天王は仏法の守護者であり仏法を犯す鬼から守る様を現しているそうです。東(持国天)西(増長天)南(広目天)北(多聞天)と四天王が各方角をそれぞれ守護しています。

あと毘沙門天信仰といえば上杉謙信が有名ですね(´∀`*)

主なご利益は財運福徳(商売繁盛)、必勝祈願(戦勝祈願、鎮護国家)、厄除開運(交通安全、降魔厄除、霊祟除災)、心願成就(受験合格、武道成就)、家内安全

・・・

“多聞天”の名に恥じないご利益の多さですね(´д`;)

真言:おん べいしら まんだやそわか

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④弁財天

もとはインド(ヒンドゥー教)の川の女神サラスバティー


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実は七福神の中で最も複雑な経緯の神様なのだ!

サラスバティーはヒンドゥー教の元になったバラモン教の頃から神として存在しておりますが、古くはゾロアスター教(紀元前6世紀)のアナーヒター(清浄を意味する女神)と同起源とされています。川の女神という性質上、土着信仰(その土地土地での違った民間信仰)が盛んに行われその結果…

ヒンドゥー教の信仰の中で既に腕が四本であったり八本であったりと全くのバラバラな姿であり、更には手に持っている物も数珠、縄、琵琶、水瓶、花、小太鼓、ヴェーダ(聖典)など、また武装し武神としてのサラスバティーも存在し、その姿は統一されていないといった有り様なのです(^p^)

この後、インダス河の神だけがサラスバティーと呼ばれる様になりますが、仏教が作られると、仏教の信徒は人々に人気のあるインドの神を取り入れ信者を増やそうとし、その中には当然サラスバティーは入り、インダス河の神として人々に水を与えて農業を助け暮らしを豊かにするという性質から人々に富を与える仏とされました。

そしていつの間にかヒンドゥー教の言葉の女神バーチュと同一視され学問(知恵、弁舌)・芸術(音楽)を司る様になっていき、今日の弁才天(弁“財”天は日本の呼び方)へと変化していきます。ちなみに仏教での弁才天は腕が二本の姿と八本の姿が存在します…

もう何が何やら(´д`;)

弁才天という呼び名になったのはサラスバティーという仏の名が中国で“大弁才天女”と訳され、それを省略した形で日本では弁才天として呼ぶ様になったとされています。

そして中国の弁才天像(主に腕八本の像)はインドのサラスバティー像とは異なり宝冠を被り宝珠や輪宝を持つ物等があり、これが財徳をもたらす七福神としての弁財天へと繋がっていきます。

奈良時代頃になると既に弁才天は吉祥天と並ぶ美しい仏とされていましたが、弁才天と違い神仏習合出来なかった吉祥天は信仰が廃れ、その信仰ごと弁才天に吸収されてしまいます。8世紀頃になって義浄が訳した『金光明最勝王経』が伝わり聖武天皇によって全国に写経が伝わると弁才天は「もし財を求むるなら財を与える」仏であると記されていた為、日本ではこの経文に基づいて、弁“財”天と呼ばれる様になりました。

平安時代になると弁財天は日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)と神仏習合すると、川・湖・海等にまつわる土地の守り神とも神仏習合が進み、弁天社として弁財天信仰(弁天島や弁天池等地名にも残る)は一気に拡がりを見せる様になります。

明治時代になり神仏分離の際に、神道色の強い弁天社の多くは神社となり、これにより元々弁財天を祭神としていた神社の多くは主祭神を市杵嶋姫命等の宗像三女神に改め、弁財天を摂社に祀ったり別の寺社に移す等して今日の七福神としての弁財天へ至ります。

古代の宗教から仏教、神道、民間信仰を経て今も信仰され続けているという実は最も複雑で歴史の長い神仏、弁財天様なのでした(-ω-)

主なご利益は財運福徳(商売繁盛、福徳賦与)、学芸上達、恋愛成就、戦勝祈願、子孫繁栄、海上安全(交通安全)

真言:おん そらそばていえい そわか

またしても続く…

次回、最終回!

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