M大佐と『七福神』④【著・M大佐】

M大佐と七福神 知識・教養

やっと最後の七福神記事。

最後はお隣中国から七福神の中でもマイナーな扱いの皆さんの紹介となります(^ω^)

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⑤福禄寿


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もとは北宋時代に老人星の化身と称する老人が都である開封に現れ、占いをしては酒代にし、しばしば自身の事を「寿命を益する聖人」と言っていたという伝承から福禄寿信仰の元が出来たのではないかとされています。

福禄寿信仰は北宋時代の後の南宋時代に福禄寿の絵が描かれ出したのでこの辺りから始まったとされていますが、そういった不思議な老人がいたという伝承と同じくはっきりとした記録は残っていません。福禄寿は頭が長く背の低い見た目の長い髭の老人の姿をしており、南極星の化身という事や伝承の話がまるまる寿老人と被るので同一の存在(同体異名)とする見方もありますが、寿老人とは見た目が全く違いますし、ここで「同じやで!」と語ってしまうと次の寿老人の内容がほぼほぼ終わってしまう上、寿老人が布袋さんを凌ぐ残念な神様になりかねないのでここは“違う神様”ということにしておきましょう。

福禄寿は中国でいう所の三大願望、

・幸福(実の子供に恵まれるという意味)
・封禄(財産のこと)
・長寿(健康に長生き)

これら三徳を具現化した存在であるとされていますが、もとは福人、禄人、寿人の三人の仙人がそれぞれいたものを併せた存在だとされる説もありますし、福星、禄星、寿星の三星をそれぞれ神格化した三星信仰というのもあり明確なルーツは不明とされています。

南極星の化身ということもあり人間の寿命を司るとされる中国の山の神である“泰山府君”と同一の神とする説もあります。

中国の泰山府君信仰が仏教経由で鎌倉時代に日本に伝わると京都の赤山禅院に福禄寿と同一の神として赤山明神として祀られ様になります。ちなみにですが福禄寿を祭神としてるのはこの赤山禅院だけだそうです。

室町時代の頃には前の記事に書かれたメジャー組と同じく早くも七福神として認識されていた様です。

主なご利益は子孫繁栄(家内安全)、富貴繁栄(商売繁盛)、健康長寿(無病息災)

真言:おん まかしり そわか

捕捉:北極星は真北にある星の事ですが中国で言われている南極星は真南にある星という訳ではありません。この南極星とはカノープスと呼ばれる地球から見て二番目に明るい恒星の事です。まあそもそも南半球にいないと地球の真南の星は見る事が出来ないですからねぇ(^-^;

⑥寿老人


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ぶっちゃけ福禄寿で書いた通りルーツが丸被りであり、実際別の神が入る場合のオルタナティブ七福神の場合に真っ先に除外されてしまう存在でしたし、室町時代の七福神では福禄寿は入っていても寿老人は入っていなかったりと知名度的にも差がついてしまっているマイナー組の更にマイナー神様となります。

ですが寿老人と福禄寿の伝承には多少ながら違いがあり、寿老人は道教の開祖である老子が仙人になり不老不死となったとされる信仰と南極星の信仰が融合しており、福禄寿と区別をつける為か、不思議な老人の伝承の中に“神々しい老人であり、皇帝に宮殿に招かれ、人とは思えない量の酒を飲み去って行った”等の様な寿老人の権威を明らかに高める為に創作された様な話もあるとされています。

また見た目としても福禄寿は頭の長い老人として描かれていますが、寿老人は老子信仰の影響か上品な老人として描かれているものが多く、杖を持ち、不死の霊薬の入った瓢箪を持ち、長寿と調和のシンボルである牡鹿を従え、不老長寿の桃を持つ等の特徴があります。

実は寿老人を主祭神とする神社は一つもありませんが、鹿を神様の神使としていた春日大社に信仰を持つ人々が、鹿を従える寿老人に親近感を感じ、江戸時代までかけてようやく今の七福神の中に含まれたのではないかとされています。ちなみに春日大社は朝廷で最も有力な貴族であった藤原氏の氏神であり、日本国内に多くの分社を持つ由緒正しい神社なのであながちこの説は間違いではないと思えます。

主なご利益は幸福長寿(延命長寿)、家庭円満、福徳智慧

真言:おん ばざら ゆせい そわか

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⑦布袋尊


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いよいよ七福神の最後にして唯一神様ではなく唯一実在した人物である布袋尊の説明となります。

…ここまで長かった(´д`;)

布袋尊は唐代末期の実在した僧侶(本名は釈契此《シャクカイシ》)でしたが、一般的な僧侶と違い布袋和尚は官寺で出世を目指すのを好まず、その一生を放浪して過ごしたとされており、その為に謎とされている点も多くあります。

布袋尊の持つ袋は“堪忍袋”とされていますが、そのルーツは大きな布の袋を持っていた為に“布袋和尚”と呼ばれた事にあります。その袋は放浪生活を送る際に托鉢等の形で人々から得た食べ物を入れる為の袋であったとされており、布袋和尚はその袋にある食べ物を少し食べては袋に入れ日々を過ごしていたという話ですが…

明らかに太ってますやん!(゜ロ゜;

放浪生活でそんだけ太れるとかどんだけ唐の時代の中国人って親切なんだよ(笑)

ってかあの袋って与える為ではなく貰う為かよ!

もう早くもツッコミ所満載ですが、出世を捨て無欲に生きただけの僧侶がどうして日本で七福神に入れられるまでに信仰を集めたのか?それは布袋和尚が弥勒菩薩を特別に崇めており、死の間際にも弥勒菩薩についての文章を残した為、布袋和尚は弥勒菩薩の化身だったのではないかという話が拡がり神格化に至ったとされています。事実布袋和尚が亡くなってあまり経たないうちに江南地方で布袋の図像が描かれたりされている事から、布袋和尚はもしかしたら人々から愛されておりそのおかげで痩せ細らず太った様相であって、弥勒菩薩の化身であっても不思議ではないと思える程おおらかで親しみのある人物だったのかもしれませんね。

日本では鎌倉時代に禅画の題材として布袋が定着しており、室町時代の後期には七福神として組み入れられておりそれなりに認知された存在であった事がわかります。

捕捉として説明しておきますが、弥勒菩薩とはブッダの次にブッダとなる事を約束された勝利の菩薩であり、ブッダ入滅後56億7千万年後とか途方もない未来に現れ、悟りを開き人々を救済する超々未来型最強人型救済仏なのです。

まるで“僕の考えた最強の必殺技”みたいに頭がクラクラくる設定ですが、仏教界においては間違いなく未来のブッダであり人々を導く存在なので、布袋尊がどうしてここまで信仰されたのかという理由付けとしては充分な説明になるのではないでしょうか。

主なご利益は富貴繁盛(商売繁盛、千客万来)、家運隆盛(家庭円満)

真言:おん まいたれいや そわか

ここまで長らく書かせて貰いました七福神の記事でしたがどうでしたでしょうか?

皆様の知りたかった事や知らなかった事等いろいろあったとは思いますが、日頃あまり深く考えたり由来について知らない七福神を、この記事を通して少しでも知って頂く事が出来ましたら幸いです。

ここまで読んで頂きありがとうございました(´∀`*)

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