さあお待ちかね。
いよいよ気になる七福神の細かい説明を進めていきましょう(´∀`*)
①恵比寿天
『古事記』によると伊弊諾尊(いざなぎのみこと)、伊弊舟尊(いざなみのみこと)の間に生まれた蛭子命(ひるこのみこと)といわれていますが、3歳頃まで歩けなかった為、不本意な子供として水蛭子として舟で海に流されて…
いきなり重い!!!Σ(゜ロ゜;
育児放棄どころか捨ててます(犯罪です)やん💦
流石に八百万も神さんおると一柱一柱の扱いも違うんやでぇ(震え声)
いきなり人生波乱万丈な展開ですが、その後産まれる多くの神の兄的な尊い存在として様々な地域で祀られる様になっていきます。
またこうした海に流されたとされる経緯から、海から帰ってきた神としての形が出来あがり、寄り神(漂着神、海から漂着してきたクジラや生き物、漂着物等)や漁業神(クジラ・イルカ・ジンベイザメ等大きな海の生き物を“えびす”と呼んで漁業神として祀る信仰)等の似た海の神様を祀る神社の信仰を吸収・習合して大漁祈願や航海安全の神様として祀られる様になりました。
またその他にも豊漁を祀る事代主命(ことしろぬしのみこと)や豊作を祀る彦火々出見尊(ひこほほでのみこと)等も習合され、恵比寿信仰に当たります。
その為商売繁盛や豊穣祈願としても祀られる様になっていき、時代と共に様々な祈願が出来るありがたい存在へと昇華した訳です。
平安時代末期には既に“えびす”を市場の神とした記録がありますが、えびすを蛭子命と見る(習合する)のは室町時代になってからの様です。
ですが古くから恵比寿信仰は商人からの信仰もあったという事がわかります。
大体今の“恵比寿さん”としてのイメージになったのは江戸時代頃、大阪が商業の中心地となると大阪の豪商達が福の神の一つとして恵比寿天を祀っている神戸にある西宮神社を参詣する様になり、大阪を中心に恵比寿信仰が広まったとされています。
主な御利益は五穀豊穣、除災招福 、大魚守護、商売繁盛、家内安全
真言:おん いんだらや そわか
②大黒天
もとはインド(ヒンドゥー教)の破壊と踊りの神とされるシヴァ神の創造と破壊を司る化身、マハーカーラであるとされます…
いきなり物騒ですね(´д`;)
マハーカーラという名前には“大いなる暗黒”という厨ニ病な人が喜びそうな意味があり、世界を破壊する時に恐ろしい黒い姿で現れ、不老長寿の薬を持ち、力ずくでも人を救済するさとされています…
…
..
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破壊するのか救済するのかどっちだよ!Σ(゜ロ゜;
まあアステカにも平和の神なのにアステカを滅ぼすと予言(神の名は“ケツァルコアトル”アステカは実際に予言通り滅びます)されている神様もいますしこういった神様ってよくいるのかなぁ?(^-^;
とりあえずは元ネタになった神様はぶっちぎりで危ない神様ですが仏教経由で仏法守護の神様として伝来した様ですのでご安心下さい(^ω^)
大黒天はインドから唐の時代に義浄によって中国に伝わると、3つの顔と6つの腕の姿から1つの顔と2つの腕の穏やかな表情の仏へと変わりました。
しかし中国での大黒天は日本でよく知られている大黒天とは違い武装した姿の物が多かったそうです。
平安時代に日本に大黒天信仰が伝わると作られた大黒天像には武装姿と平服姿はほぼ半々であったとされています。
平服姿の大黒天像には左肩に食べ物を入れた袋を背負った物が多かったそうで、こうした大きな袋を持った姿や中国での大黒天信仰に見られる全てを司る程の万能さ、大黒という漢字のニュアンスから大国主命(おおくにぬしのみこと)と結び付けられ神仏習合した結果。
大黒天は日本の神様となって時代と共に変化を繰り返し、今の七福神としての大黒天となっていきます。
大黒信仰は戦国時代に京都を中心に広まっていき、この頃に今によく知られる大黒天の姿になります。
御利益や五穀豊穣、家産増進、子孫繁栄、出世開運、財運福徳、商売繁盛
真言:おん まかきゃらや そわか
ちなみに恵比寿信仰にある事代主命は大黒天信仰の大国主命の子に当たる為、捉え方によって恵比寿天と大黒天は親子関係に当たります(・ω・)
また長くなってしまったので続きます(´д`;)メンゴ
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